何かに祈りを捧げる行為と、スピリチュアリティの概念について何か関連性があるのではと疑問に思ったことはないでしょうか。日本ではあまり広く浸透していない宗教的な側面をよく理解し、なぜ人は神に祈りを捧げたり神の存在を強く求めてしまうのか、また霊的な事柄や決められた宗教観に固執してしまうのかを紹介していきたいと思います。
そもそもスピリチュアリティとは、精神世界を強く求めることを指しています。たとえば目には見えない霊の存在を信じてみたり、数多くの理解者と一緒になって精神的な結びつきを強く求める行為のことを意味しており、アメリカや欧州などではキリスト教が代表的な宗教として多くの人々に癒しをあたえている存在です。
人は目には見えない何かにすがって自分の存在を認めて欲しいと願ってしまう生物であり、スピリチュアリティの観点から神秘性があり崇拝できるような何かを探し求めてしまう習性があるのかもしれません。たとえ心を許せるような家族や恋人であったとしても、100%自分の心からの叫びを聞いてもらうことは容易ではないのです。そんなとき、神として崇められるような存在を心の中にとどめておくことができれば、いつどんな時でも平静を装って立ち居振る舞うことができるようになるのでしょう。
そして、人は神秘性のある場所を探し求めてしまうことも分かっています。神の存在をより身近に感じるためには、礼拝堂や教会を建てて毎日祈るのです。なぜこのような行いを始めてしまうのかと言うと、そこには祈りとスピリチュアリティの関係性を検証すれば答えがでてきます。現在において祈るという行為には、神や超越的な領域、あるいは超自然的な力を求めて行う儀式のようなものであるとされており、人間が神とのコミュニケーションを積極的に図っていくための大切な行為であると言われています。このような現象はすべての宗教で常に見られることで、多様な形式や技法を用いて行う一種の個人的行動の一種であると言えるのかもしれません。
世界的にみたら無宗教と言われている日本であっても、目標を達成させたいと願ったり愛する人の健康を祈ったりする行為は当然のように行われています。つまり、祈りとスピリチュアリティは非常に似た心理の下で行われていることであり、人類が生きていくうえでは切り離せない独特の関係性を持っていることが分かります。宗教だからと毛嫌いするのではなく、心の癒しの一環として考えを改めてみる必要があるのかもしれません。