宗教による考えの違いは、死生観に大きく表れると言われています。日頃から死を意識している人は少ないと思いますが、スピリチュアル ペインという言葉があるように、重い病気を患ったときなどに生きることや死ぬことについて考える人が多いようです。
仏教には生死一如という言葉があります。これは生きることと死ぬことは一つであり切り離すことができないという意味です。死を意識してから生が輝き出す、というアイデアもこの言葉で表されます。
死生観とは生きることと死ぬことに関する価値観です。多くの人にとっては信仰する宗教によって決まりますが、自分独自の考えで決めている人もいるでしょう。神道の死生観は、亡くなった人は神となり家を守ってくれるというものです。さまざまなものに神が宿るとアニミズムゆえの死生観です。ちなみにキリスト教では、亡くなった人は主の許しを得て永遠の安息を得る、というものです。
仏教の死生観において、死は人生の終わりではありません。人は生まれそして老い、いずれ死ぬのですが、常に人生の無常を心に留めなければならないとされています。
現世で宿っている肉体が終わるだけで、私たちの精神はまだ残り、新しい肉体、新しい人生への愛着という必要性を通じて探し求めるのです。どこに生まれるかは、過去の正負の行いの積み重ねであり、その結果としてのカルマつまり因果応報があるのです。
その結果として天界や人間界、阿修羅界など6つの世界に生まれ変わることになります。仏教ではカルマの重さによって6つの世界があると考えられていますが、どの世界も永続的ではなく、またどの世界にも永久にとどまることはありません。つまり仏教では、生命は終わることなく、蓄積されたカルマの結果である別の形で続いていくだけだということです。仏教は現世以外も含めて、無常であることを強調する宗教です。上記のようにように考えると死は生まれ変わるものであり、恐れるべきではありません。
私たちの人生とその中で起こるすべてのことは、カルマの結果であるとされています。このカルマは肉体や言葉、心によって作られ、その行為がポジティブかネガティブかによって、将来の幸福や苦しみとして熟す可能性を持っているのです。人々に幸福をもたらせば、私たちも幸福になります。苦しみを生み出せば、現世でも来世でも苦しみを味わうことになります。これをカルマの法則と呼び、アニメやポップソングなどにも登場します。カルマの法則は、死者の魂がそのカルマの蓄積にふさわしい領域に生まれ変わるよう導くとされています。