煩悩とは仏教で使用される言葉で人を苦しめる、惑わせるなど悟りを妨げる心のことです。1人に108 煩悩があるといわれており、単純に欲のことだと考えがちですが仏教では欲が満たされたら苦しまなくなるわけではないとされており、有っても無くても同じであることから有無同然といわれています。
例えば、お金がなくて好きなことができない、だからお金があったらいいと思う、病気になって思うような活動ができない、これは病気があるからだと考えてしまう、だったらお金があって病気でなければ充たされて幸せかというとまた別の悩みや苦しみが出てきます。つまり煩悩とは 簡単にいうと、この果てしなく人間を苦しめる様々な悩みや煩いのことであり、それらを総称した言葉だといえます。煩悩の「煩」の字は煩いであり、「悩」は悩みを表していることからも煩悩 意味が分かります。
三毒の煩悩とは?
108 煩悩があるとされている中でも、特に人間を苦しめているのが三毒の煩悩です。三毒とは「貪欲」「怒りの心」「愚痴」の3つです。
「貪欲」とはお金が欲しい、認められたい、好かれたい、という欲求で、そのためなら他人はどうなってもよい、自分の欲が充たされればそれでよいという考え方です。三毒のなかでもあらゆる悩みごとにつながる煩悩だとされています。
「怒りの心」は恐ろしい心でもあります。人間は怒ると冷静さを失い、やってはいけないことをする、言ってはいけない言葉を発するからです。その結果、社会的な信頼を失う、大切な人と別れてしまう、家庭が崩壊することになります。この「怒りの心」の恐ろしさは、それほど関係のない人との間であれば一時のことだと我慢できても、共有する時間が長い、関係性が深い人との間に生じたときに取り返しの付かない事態を招くことです。したがって深い関係がなければ大きな怒りが起きることもなく打撃も少なくて済みます。
「愚痴」は、羨む心や妬み、そねみといった醜い心のことです。幸せそうな人を見ると羨ましくなる、人の成功が面白くないといった心のことで、素直に喜ぶことのできない心の働きのことです。しかも人間はその醜さを自覚することができ、隠すことができます。貪欲の場合は、〇〇したい、〇〇が欲しいと言葉にすることはできても、あいつが羨ましくて仕方が無いと口にする人は滅多にいないはずです。また「愚痴」は人の不幸を面白がる心でもあります。人が失敗して困っている様子を見て思わず心の中で面白がってしまうことで、羨ましいと思うよりもっと醜い心だといえます。