この島四国霊場は今から約190年前の文化4年に、島民である医師毛利玄得、修験者金剛院玄空、庄屋の池田重太の3名の努力により開創されました。
玄得は幼少の頃、出家して高龍寺に弟子入りしましたが、成人の後医業を継ぐ事となり還俗しました。後年その志を断念した事を悔やんで、本四国霊場を数度巡拝し、その素晴らしさにいたく感動し、その地理地形に合わせて、大島に島四国霊場を開創しました。
開創と共に、本四国に比べて手軽に巡拝出来る事から、多くの巡拝者を迎える様になりましたが、当地の領主
今治藩は、多くの民衆が集まる事に危惧を感じ、霊場巡拝を禁止し主犯格の3人を流罪の刑に処しました。
しかし、民衆の信仰は篤く、巡拝者は絶える事無く、文化7年4月3日に京都にある真言宗御室派の総本山である仁和寺から「准四国八十八ヶ所霊場」の称号と仁和寺紋章の使用許可が与えられ、初めて自由に参拝出来る
様になりました。高龍寺には毛利玄得が文化4年に自ら記した納経帳や道中記が奉納され大切に保管されています。また境内に咲く桜は無麻理の桜と呼ばれ、文化7年に京都にある総本山仁和寺から贈られたものです。
■縁日 旧暦 3月19・20・21日
縁日の間は各お堂で地元の方々からお遍路さんにへの接待などがあり、縁日の間は大勢の参拝者が島を訪れます。あなたも、美しい景色と暖かい人情にふれに「心のふるさと島四国」を訪ねてみませんか。