伏見稲荷神社は京都府深草藪之内町にあり、日本全国に30000社あるといわれる稲荷文化を祭る神社の本宮です。この神社にアクセスをするには、自動車を利用の場合は、阪神高速道路上鳥羽出口もしくは名神高速道路京都南インターから30分以内の範囲にあります。自動車以外では、JR奈良線もしくは京阪本線の伏見稲荷駅下車するという方法もあります。神社の御利益として五穀豊穣と家内安全だけでなく、万病平癒と学業成就などです。
そのご利益がある、この神社の歴史は1000年以上前の奈良時代にさかのぼることになります。奈良時代において中国との貿易が開始され、食べ物になる作物と栽培方法が伝来したのです。栽培方法を確立することで食糧事情が改善された当時の日本ですが、それと同時に問題となったのが作物の実りが安定せず飢饉に陥る確率が高くなったことです。その理由の大半が作物への疫病だけでなく、作物を最も荒らすネズミの存在になります。
人間の力によるネズミ対策には限度があり、頭を悩ませていたところ突然被害数が少なくなることがあったのです。その改善する道筋をつけてくれたのが、近くの山に住んでいた狐になります。狐は時折山から下りてきては、作物を育てる畑周辺に出没をしてネズミを狩ってくれます。この光景を見た奈良時代の畑仕事をする人たちは、山から下りてきた狐は神の使いと認識しまつることを決めたのです。そして多くの狐が住む山のことを稲荷山と呼び、その後神の使いをまつる場所にするために仏教で神に祈る本宮を設置します。
もう一つの歴史は、弓の名手としてうたわれていた伊呂具が、収穫した餅を使って弓を引いたところ白鳥となって飛び去ったのです。それどころか白鳥が舞い降りた山の峰には、多くの稲が実ったとされその光景を見た伊呂具は神秘の力が宿る山として礼拝をする場を設けます。こういった流れで五穀豊穣をに関するご利益として人気となったのですが、そのご健康でのご利益を仕るようになったのは827年です。当時の天皇だった淳和天皇の体調が悪くなり、その原因が神木が使われたことによる祟りだと占いで言われます。祟りを鎮めるためにはより強い力を持つ仏神に払ってもらう必要があり、そこで神の使いとしてつかされている稲荷に対して、祟りを沈めてもらおうと多くの供物を用意して礼拝をしたところ天皇の病が少しずつ収まっていったのです。礼拝をして効果があったことから天皇にご利益を与えた神として伝えたことにより、今日において健康祈願をする場所と愛されるようになります。