仏教美術とは人間の視覚に働きかける芸術を指しており、非常に伝統的なジャンルとして知られています。これらの美術品は仏像の彫像や絵画、建築など様々な分野があり、起源としては口伝で伝わっていた宗教が、次第に絵画や建築などで表現できるようになったという裏付けもあります。

建築物で挙げますと、仏像寺院やストゥーパ、塔門などのタイプもこれにあてはまり、世界各国の仏教を信仰する国や地域において見られるのが特徴です。美術品で有名なのが仏像などの建築物やモニュメントですが、最初期の仏教では仏像は制作されていませんでした。これは諸説あるのですが、仏教のシンボルである釈迦が人間の形で表現されていなかったことが起源となっているようです。仏陀を可視的に表現するようになってからの芸術はそれまでの象徴的な表現よりもさらに洗練されていった事が特徴です。
中国や朝鮮など仏教を進行する国や地域は多数ありますが、日本における歴史を確認してみましょう。日本はシルクロードの終着点となっているため、インドで教えが衰退していった跡でも信仰の色々な側面を維持する事が可能でした。
飛鳥時代には百済からの使者から宗教が紹介され、のちの飛鳥寺や四天王寺が建設されるなどといった国家的な推進があった事が特徴です。この飛鳥時代の仏像の特徴は浅い奥行きでありながら左右対称で、正面から鑑賞する事が前提とされていました。
奈良時代には710年に平城京への遷都が行われ、興福寺や薬師寺といった多くの寺院が建てられていきました。国家が後援者となり、宗教とその美術や芸術が段々庶民そうにも浸透していった時代でもあります。
平安時代においては9世紀のはじめに空海が唐から密教の奥義を持ち帰り、法具や曼荼羅、書道が伝わった事が特徴です。また鎌倉時代には寄木造りが主流となっていき、東大寺南大門の金剛力士像などはその代表的な作品と言えるでしょう。この時代の仏像はたくましさが全面に出されているような表現が多く、絵画においては現実的な姿の表現として似絵と呼ばれる肖像画のような作品も生まれています。
そして江戸時代には徳川幕府によって美術品が盛んに制作されていき、中国の作品や江南地方の文化が日本に伝わります。このような歴史は明治時代以降も継続していき、建設物などは宗教の教えを取り入れながらも、多方面の影響を受けた作品として和洋折衷が表現されるなど、さらに幅広い作品が見受けられるようになりました。